ラルク好きの病弱主婦が綴る、日々や過去のコト。現在旦那と別居中。

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父、復帰

2008 - 10/01 [Wed] - 22:17

今日から父の小料理屋が復活しました(^-^)/

「仕事に復帰出来ますか?」という手術前の問いに、医師は答えてくれなかったけど、こんなに早く復帰する事が出来ました。

手術直後の父の姿はまだ鮮明に残っているけど、だからこそ今日という日を迎えられた事が夢のように嬉しいです。

お酒も飲めず、まだ食事も以前のようにはいかない父には、職種柄辛い事も多いと思いますが、無理せずいて欲しいなぁと思います。
でも無理しちゃうんですよね…。

もう一生再発の恐怖からは逃れられないと思います。
けれどやっぱり父は強い。
弱さを見せない所が強いんですよね。

また地元の人達が父を励まし続けてくれると思います。

沢山の人達と大自然にどうかずっと父が守られていきますように…。

術後2ヶ月経過

2008 - 07/26 [Sat] - 17:35

父が食道がんの手術をしてから約2ヶ月が過ぎました。
痛みは2〜3ヶ月くらいは続きますと言われていましたが、その通りで今は大分楽になったようです。
まだ仕事はしていませんが、山へ海へと毎日出かけては山菜をを取ったり魚を釣ったりしています。
それだけを見ていていると2ヶ月前にあれ程の大手術を受けたとは信じられない程の回復ぶり。

食事はまだ大変そうで、すぐ喉にひっかかり、食事を中断、しばらく休んで再開・・という感じです。
でも食べる量は増えましたし、体重減少も止まり1キロ増加しました。
もっとゆっくり食べたらいいのにといつも思うのですが、父もついつい忘れてしまうのだとか。
つっかえるとイライライライラ・・・。
気持ちは分かりますけどね。

父が食道がんを発病して、あれこれネットで調べたり、本を読んだりしましたが、父は手術自体も、術後の経過もとても良いと思います。
これといったトラブルが一切なく、今に至ります。
放射線か、手術か、どちらが良いのかと考えましたが、今になれば手術をして良かったと思います。
父本人が「体にはもうがん細胞がない」と思える事が大事で、やっぱり父の性格上、放射線治療ではスッキリしなかったと思います。

実家は収入が一切なくなってからもう3ヶ月弱でしょうか。
母は金銭的心配をしていましたが、実際帰ってきてみると食料はあふれていて食べきれない程あります。
近所の人があれこれ持ってきてくれたり、お見舞いに来てくれたりで、こんな時は田舎の温かさが嬉しいです。

今日も長時間立ち仕事をしていたし、仕事再開は近いのかな。

2008 - 06/27 [Fri] - 16:35

25日、最後の健診の日。
真吾先生はとてもにこやかでした。
もう脅す要因も無いし・・といったところでしょうか。
「じゃあ抜糸しましょうか。」
と徐にハサミとピンセットを持ってきました。

( ̄△ ̄;)エッ・・?
今から?

と思う間もなく目の前でパチパチ切り始めました。

肺の水を抜くために穴をあけた所の抜糸です。

「あ〜ちょっと肉に糸が食い込んでるから・・痛いですよ〜。」
と先生。
痛みに顔を歪める父。
と・・鳥肌立った。

健診は半年おきだそうで、次回の健診も東京でやる事を希望した父。
ちょっと地元の病院は対応が悪いからね・・。
「地元の病院でもいいんですか?」と父も聞きましたが
「まぁ良いでしょうけどねぇ・・。」と先生。

経過も何も残っていないのだから、ただ健診だけやるっていうのも心配ですよね。
東京と地元の病院では話が全然違ったりするし。

「え〜とではそういう事で・・。ちょっとあっさりしすぎですか?大丈夫かな?」と笑う先生。
でも術後に何も問題が起きていないので、質問もないし、先生も言う事はこれと言って無いしで診察は10分くらいで終了。

「たったこれだけの為に来たのか」
と父。
長ければ長いと文句を言い、短ければ短いと文句を言い。
元気な証拠ですかね。

今日を迎えるまで長かった。
本当に長く感じました。

昨日の朝母が荷物を出しに行くと、準備をしていました。
父が
「手伝おうか?」と言うと
「余計な事しなくていいわよ!こんな帰る日の朝になっていらない事して、また背中痛い、お腹痛いってなったらどうすんのよ!!」
傷ついただろうなぁ・・父。
背中だってお腹だってざっくり傷があるんだもの、全部で何十針ぬったか分かんないくらいの傷跡。
肋骨なんて2本切ってまたつなげてんだよ?
痛いに決まってるじゃん。
でも少しでも手伝おうか?って言ってくれた父にもう少し言いようがあるんじゃないの?
こんな事が時々あって、父は我慢しているようでした。
いつも母から「父がこう言った」という話しか聞いていなかったから分からなかったけど。
私も鬱が酷くて実家に帰った時はよく母の言葉に傷ついたっけ。
感情が急激に変わるんですよね、昔から。
自分で抑えられないらしくて、ブツブツ独り言のように怒っていたり、ガチャガチャと食器の音を立てたりします。

この話はまたどこかで書くかもしれませんが、私が食事を受け付けられなかった頃、とにかくカロリーを少しでも取ろうと、お湯に砂糖を4〜5杯くらい入れて飲んでいました。
まるでデスノートのLですね(笑)
その姿は周囲にとても異様に見えたようですが、その頃から内臓が冷えるんです。
内臓が冷えるなんてそれまで味わった事のない感覚でした。
お腹の皮膚は温かいのに、その奥が冷たい。
そんな私を見て姉が言いました。
「白砂糖は体を冷やすんだよ。黒砂糖に変えたらいいよ。」と。
そして黒砂糖を買ってきてくれたのです。
数ヶ月も続いていた妙な冷えが治まりました。

普段白砂糖を使っていてもそこまで感じませんよね。
でも多量に取ると感じると言う事は、やっぱり体を冷やしているという事。
感じないから、別にいいだろって事でもないと思うんです、特に病人には。

その話を母にしました。
「そんなのあんただけよ。」
で却下。
砂糖を白から黒に変えるなんて簡単だし、そもそもうちでは黒砂糖しか使っていなかったのに、わざわざ白砂糖出してきますからね。

術後父の自律神経は狂ってしまったようで、暑くなったり寒くなったりを繰り返していました。
それに父も少し困惑していました。
私は時々あるけど、父は初めてだったのです。
季節柄気候も安定しないし、風邪でもひいたら大変です。
だから何か出来る事があるならやった方がいいって私は思うんですが・・。
母はそうじゃないんですよね。
だから良さそうなものがあっても、母が良いと思わないと父に使ってもらえないんです。
今まで唯一使ってもらえたのはプロポリスくらいかな。
がんに良いとあちこちで書いてあります。
1瓶1万円。
それをがんが分かってから5本送りました。
値段的に効きそうだと思ってくれたのかなぁ。

母は代替療法も全く無意味というタイプで、薬に強いせいか、何でも薬で解決しようとするんです。
背中が痛いというからストレッチを教えたら
「面倒で続かないわよ。いいの接骨院でマッサージしてもらうから。」
「じゃあ行こうよ。」と言うと
「お父さんのご飯があるから行けない。」と。

私、母ってずっと几帳面で何でもこなす人だって思ってたんです。
私の事を
「要領が悪い」と言うし、どんなに具合が悪くても
「手伝いなさい」と言ったり。
東京に来たら、食費や水道光熱費などはもちろんけいちゃんが出すし、出来る限りの金銭的援助もするし、きっと母は申し訳ないって、手伝ったりするんだろうなと思っていました。
実際
「何でも言いつけてね」と言っていたし。
私が具合が悪くて帰った時に私に望んだ事を、母はもちろんやるんだろうと思いました。
今度は立場が逆転しているのですから。

それが全然(´○`; ポカーン
ご飯はお世話になりました。
でもそれ意外は何も・・・。
私ね、本来それが普通だと思うんですよ。
手伝うって言っても他人の家ですから、掃除機の使い方も、どうやって掃除しているのかも分からないし、洗濯機だってそれぞれ。
気も使うし、正直勝手の分からない家で家事をしろと言われても面倒です。
父の事だけで大変なんですから。
ご飯は私が料理が下手だという事もありますが、食費を26日間で10万円渡したんです。
上手く節約して、手元に残して欲しかったのもあります。
だから買い物も全部母に任せました。
いちいち買った物を見られるのも嫌だろうと思ったのです。
それでも一緒に行った時は私が出しました。
せっかく家を離れたのだから徹底的にゆっくりしてもらいたいのです。
でもそれは私が実家に帰った時に望んだ事でもあり、叶わなかった事です。
実家に帰る時はもう自分の力では這いあがれない時に帰っていましたから、生きるだけで精一杯。
でもりゅうの世話は最低限あります。
それに家事をしなければ嫌味、嫌味、嫌味・・・。
こんなんじゃ東京にいた方がマシだと、いつもそれで実家と東京を行ったり来たりしていました。

私はあの時どうするべきだったのか。
どうしたら母は満足してくれたのか、立場が逆転した今その答えが見れるんだと思いました。
きっと父の世話も完璧にして、家事もどんどん手伝うんだろうと、寝る間を惜しんで何かするんだろうと思ってました。

立場が逆転と言っても、病気なのは父であり、母ではありません。
「東京に行ったら、けいちゃんの仕事も手伝うわ。ご飯も美味しいもの沢山作るわ。掃除もするし、洗濯もね。流月も大変なんだから、ゆっくり出来るようにするからね。お金は申し訳ないけど世話になるね・・。」
母が言うのだから、そうするのだと思っていました。

でも実際は・・・。
毎日お昼寝。
疲れるよね。
良く分かる。
慣れない土地というだけで、疲れるもの。
でもその母の寝顔を見てると
「また寝てるの?お昼なんだよ?」
という実家で幾度となく言われた母の声が蘇る。
掃除も洗濯も私がやりました。
やっぱり・・・ゆっくり休んで欲しかったから。

母が言っていました。
「身内と言えど、人様の家ね。思ったようにはいかないわ〜。」
それが分かってくれただけ良かったと思いました。

父の世話はとても一所懸命でした。
ご飯、おやつ、一日に何度も出すのも大変だったと思います。
食に困る父を徹底的にサポートしていました。
出かけると言えば付き添い。

その姿は羨ましかったですね・・・。
私が食に困っていた時は、誰も手を貸してくれず、
「怖い」
と離れて行ったっけ。
「扱いに困る」と
私は独りだった。
医療機関にまで見捨てらてて・・・。
やっぱり鬱と癌の差ですかね。
私と父との人間の重さの差だとは思いたくないけど。
食べられない辛さは同じだと思うんだけど、周りから見たらどうなんだろうか。

母に思う事は沢山あります。
長年思っていたのと違うなぁって言うのが最近の感想かな。

諸刃の剣

2008 - 06/20 [Fri] - 16:55

父は長距離の散歩にも出かけるようになったり、術後の回復は本当に順調に見えます。
一昨日から埼玉の親戚の所へ出掛けています。
本来は17日に退院予定でしたから、今となれば、そんなに長く病院にいたら歩けるのがもっと遅くなっただろうと思える程です。

父の今一番の気がかりは再発です。
再発すればもう手の打ちようがない。
初期発見だろうと、もうがんが全身に散らばっているようなもの。
それを私が買った本を読んで知り、落ち込んでいるのです。

食事は変わらず大変そうで、途中でつかえて食べ物が落ちていかなくなるので、そうなったら席を立ちウロウロ歩いたりして落ちていくまで待ったしています。
元が早食いの父ですから、一食に30分かけて食べるというのは意識しないと大変そうです。
水分も術前の感じでゴクっと飲んでしまったりするそうです。

背中がまだ痛くて、夜中は殆ど眠れないそうです。
傷口はとても綺麗に治っているのですが・・。
肋骨2本切ってますから、しばらくは仕方ありません。
深夜に散歩に行っています。
東京はコンビニや駅前は夜中でもやっているお店が沢山ありますが、田舎に戻ったらどうするんだろうと思ったり。
でも
「東京は疲れる。早く帰りたい」
といつも言っています。

実家は自営業ですから、私が子供の頃から働いている両親ばかり見てきました。
仕事をしていない両親というのを、今回初めて見たのです。
う〜ん・・・。
色んな所が見えますねぇ・・。
特に父の意外な面が見えます。

父が入院中、向かいのベットにおじいちゃんがいらっしゃいました。
お昼過ぎに私が行った時、看護婦さんが
「時々心臓に負担がかかる方がいるので、心電図取りながらやりますね。」
「心臓にかぁ・・。」
「誰でもなる訳じゃありませんよ。ちゃんと心電図見ながらやりますから」

と会話されていました。

父に聞いたら
そのおじいちゃんは肺がんで抗がん剤治療をする所だったそう。
翌日父の所に行くと、おじいちゃんのベットがぽっかりとありませんでした。
「体の酸素が足りなくて個室に行った。」と。
その日の朝、
飲めない水を頑張って飲んでいたそうです。
「水を飲まなきゃ癌が出ていかない。頑張って治さなきゃどうにもならん。」と
治療も頑張っていたそうです。
父にも珍しく沢山話しかけてきて
「そんなに遠くから大変だったなぁ。」としきりに話していたそう。
厳格なおじいちゃんだったようで、娘を叱る事も多かったそうです。

翌日父が退院して、家に着くと直ぐ
「あのおじいちゃんが可哀相だった」と。
「あぁあの向かいの?個室に行ってまだ戻って来なかった?」と聞くと

「亡くなったんだ。」と父。

驚きました。
抗がん剤によるダメージが思ったより大きくて、体内の酸素が減り、戻らず、酸素マスクをつけたけれど、そのまま・・・。

「朝あれ程元気に話していたのに。」と。
娘さんが父に挨拶に来たそうです。

たった一日の抗がん剤投与で、旅立ってしまったおじいちゃん。
もちろんリスクは説明され、それに同意したのですが。
でも・・。
でも・・・・・。

父はその事が頭から離れないようです。
抗がん剤は諸刃の剣とは言いますが、その現実を見た気がします。
癌を治すと無理してでも水を飲み、治療を受け。
その結果が一日で他界。
がんって本当に恐ろしいです。

父の再発の危険は正直高いのだと思います。
リンパに転移がある場合、その可能性は高くなるそうですから。
でもそれをあまりに気にして、免疫力が低くなってはそれこそがんに勝てない。
だから父には
「再発したくなかったら、再発の事を考えない事だよ。」
と言いましたが、もちろんそんな訳にもいきません。
どうしたら父が笑って毎日を過ごせるだろうか。
そればかり考えています。

父が退院しました

2008 - 06/12 [Thu] - 11:38

今週9日の月曜日に父は退院して、マンションに戻ってきました。
退院予定日は17日でしたから、かなり早い退院となりました。

痛みはまだ強いのだけど、点滴も外れ、食事も始まり、血液検査、レントゲン、も異常なし。
病院にいてもやる事がないのだそう。
辛そうではあるけど、毎日着実に回復しています。

昨日なんて、隣駅に買い物に行ったんですって。
もう少しおとなしくしてた方がいいんじゃないかと思いますが( ̄Д ̄;;

昨日は突然食べ物が逆流して気管に入り咳き込みました。
逆流には気をつけなければいけなくて、とても苦しそうでした。
ご飯が一番辛いようです。
食べるのに1時間くらいかけるし、その間におやつ。
一日何かを食べているような状態です。
量が少ししか食べられないので、何度にも分けなければいけなくて。
胸のあたりに食べ物たつかえるので、入っていかないそう。

「あんなに早食いだったのになぁ・・。」と父。
普通に食べられるまでに半年かかるそうです。

今日は雨ですね。
雨が止んだら散歩に行くと父は待機中です。

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プロフィール

流月

Author:流月
小学生の頃から続く頭痛。
どことはなしに体が弱いのですが、結婚後鬱病になってしまいました。
後にパニック障害発病。
不安神経症や、解離性障害にもなりました。
結婚前はキャバクラ嬢。
現在は専業主婦で一児の母です。

好きな物
LArc〜en〜Ciel 
HYDE
浜崎あゆみ
倖田來未
音楽 ヨガ アロマ 癒しに関する事
お裁縫をしたい今日この頃。
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