| トップページ > 20080313 | ||||
複雑な思い
父の最終結果が明日へと迫りました。
あれからほぼ毎日父から電話があります。
同じ事を繰り返す父。
そして電話を切る時は必ず「結果が出るまでは同じ話の堂々巡りだから止めよう」と言います。
私は思った以上に冷静でいられて、自分でも意外です。
一つはここ5年くらい、あまりに死と正面から向き合っていたので、死や病気に対して散々考え尽くしてきて今に至る事もあると思います。
でも私は父と話す度に複雑になるんです。
父も母もパニック状態で「どうしてこうなってしまったんだろう」「どうして自分が」という疑問が常にあり、「一刻も早くここから抜けたい」「まだまだ自分はやれる」「仕事に早く戻りたい」「早く日常に戻りたい」と気持ちがとても焦っています。
そしてその焦りと死や病気に対する恐怖や不安、そして完治出来るだろう期待と、余命を宣告されるかもしれない恐怖が入り混じり、どうにもならない様子。
病気を治す最善の方法や、それにかかる金銭的、生活的な事、沢山事が頭を占領しているのです。
こっちを取れば、こちらが上手くいかない。自分はどうすべきか。
他人にして欲しい事も沢山ある。
こうしてくれるだろう人が、いざとなったらしてくれなかったという落胆。
命の重さ。
そして・・命の軽さ。
その結果、口に出る事がいつも同じになる。
途中で、同じ事を繰り返し言っている自分が嫌になり、自らそれを止める。
その姿はまるで、発病したばかりの私を見ているよう。
私が最低の人間だと思うのはそんな今の父を見て、「私も同じ状況だったのに、それは何も理解してくれず、自分の身に降り掛かったなら、それは当然の如く他人に求めるんだね。」という思いが拭い切れない事。
「告知されてから丸2日ご飯が食べられなかった。このままご飯を食べられず、死ぬんじゃないかって怖くて仕方なかった。けど、どう頑張っても喉を通らないんだ。あれには驚いた」とそれは何度も話すんです。
私はそれが3年以上続いたけれど、「どうにかして食え、何故食えないんだ。そんな事では病気が治らない」と。
その言葉が頭に蘇ってしまう。
私にはそう言ったのに、自分の事となると・・・?
フラッシュバックとかじゃなくて、例えそうだとしても、癌で悲しんでいる父を前に最低だと思う。
それではあの時の父と同じじゃないかと思う。
父の気持ちは良く分かる。
今辛いのは私じゃなくて父なのだ。
死の恐怖は恐ろしい。
それも痛いほど分かるくらい、私も死の恐怖にさらされ、今でも突如襲われる。
だから父と話していると「私だって・・」という気持ちが強くなってしまう。
私が健康で、何も分からず、ただ純粋に父の心配が出来たらどんなに良かったろう。
けれど、あの頃の自分を思い出し、父からの電話を取らずにはいられない。
そして話す事がどんなに心を楽にさせるかを知っているから、私からも電話をする。
それなのに、あの時、私もこうして欲しかったのにという気持ちが出てくる。
父と同じ態度は取れない。
けれど、父がしてくれなかった事を、私には求めるのが・・複雑でもある。
人って死ぬんだよ。
りゅうだって死に関わる病気になったじゃない。
お父さんの友人だって鬱病で死んだじゃない。
私だってその鬱病にかかっているじゃない。
それを私が思っていたより、父は身近に考えてくれていなかったみたいです。
膀胱癌手術後、また煙草を吸っていた父。
喫煙は再発のリスクを10倍にさせると言われても。
ここまで追い詰められるなら、せめて節制して欲しかった。
何度止めても喫煙を止めませんでした。
本当にしつこく言っていたから、ある程度のリスクを覚悟してるんだと思っていました。
けれどこうなったら「どうして自分が」という思いがかなり強いようです。
父の癌のリスクを減らせるのは父しかいなかった。
明日の結果で転移があるか無いかで、道が大きく分かれます。










