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最期は一人で
2002年 秋
妊娠発覚後に一度挨拶に行ったきり、けいちゃんの両親との交流は一切なかった。
その時に初めて会ったのだが、正直顔も声も忘れそうだ。
携帯の番号すら知らない。
母は言う。
「子供の物や心配な事があったら、けいちゃんのお母さんに聞いたらいいじゃないの。
あれこれ言いたいんじゃない?」
私は言った。
「電話番号も知らないのに?興味無いんじゃない?話もした事ないよ。」
「それが東京なのかしらねぇ・・。ちょっと淋しいわね。」
けいちゃんの両親にとっては初孫で、嬉しくて仕方ないのではないかと思っていた。
きっと育児について口出ししてくるだろう。
昔のやり方をおしつけてくるから腹が立つとかなんとか・・。
そんな話をよく聞くもの。
全くなかった。
電話も無い。
けいちゃんに聞けば、
「嫁、姑は上手くいくはずが無い。もうお互い別の家庭だから、口出しなどしないのが、上手くいく方法なのだ。もめたくないから、口出ししない、関わり合いにならないのが一番だ。」
と、お義母さんは思っているそうだ。
そして
「年老いてもけいちゃんの世話にはならない。その為に今働いているんだ。動けなくなったら、誰にも迷惑をかけないように、老人ホームに行く事にもう決めている。世話なんてみて欲しくない。」
とも。
なんて淋しい事を言うんだろう。
母の言う通り、これが都会の考え方なんだろうか。
私は田舎出だからか、結婚とは別の家に貰われて行く事で、その家の家族になるのだと思っていた。
東京に両親が増えるのだと思っていた。
年老いて動けなくなる事が、本当に迷惑だと思っているんだろうか。
働いて働いて、動けなくなるまで世の中に貢献して、そして動けなくなった姿が迷惑だと。
やっと両手を広げて皆からの感謝を受けて良い時を迎えた時、老人ホームでひっそりと死にたいなんて。
介護って大変で、想像を絶すると思う。
現実の話、アルツハイマーなどの病にかかれば、私などの手に負えなくなってしまう。
だけど出来る事があるならやってあげたいと思っていた。
皆で力を合わせてそれを乗り越えていくんだと思っていた。
最期まで幸せだと思って貰える手伝いをする事は当然だと思っていた。
下の世話まで覚悟していた私。
それが結婚で、他の家に貰われて行くという事。
結婚って、沢山の人達が結ばれていく事ではないの?
私とけいちゃん。
私とけいちゃんを取り巻く人達。
そして生まれてくる子供。
お互い知らなかった人達が、結婚を機に出会い繋がっていく。
それを紙切れ上だけど、約束するものだと思っていた。
友達に話せば「楽でいいじゃん」との答えが返ってきた。
楽と言えば楽だ。
ただその楽をするべきじゃないって思うだけで。
父は「お前の考えはとても有難いと思うんだけどなぁ・・。
多分まだ二人とも元気だから、実際の所の想像がついていないんじゃないか?
きっと本当にその時が来たら、老人ホームに行きたいなんて言わないと思うけどな。
子供が面倒見たくないっていう家は沢山ある中、お前はせっかく違う考えを持っているのになぁ・・・・。」と複雑なようだった。
父に言われてそう思った。
きっとそうなんだ。
まだその時になっていないから、実感がないんだ。
本当に一人になってしまったら、淋しくて皆といたいと思うんだろう。
だったら年老いてこそ一緒にいたいと思う私の気持は持ち続けて良いのかもしれない。
嫁姑問題で、あれこれ悩む自分が、思い描く想像上の結婚生活というもの中にあった。
そしてそれを乗り越えて、お義母さんと仲良くなる自分がいた。
馬鹿だけど、それが理想だったのかもしれない。
初めから仲良くはなれなくても、いつかは一緒に出かけたり、お茶を飲んだり、けいちゃんの子供の頃の話を聞いたりしたかった。
無意識の内に考え出されていた、「姑に対する対処法」は試す事なく終わりそうだ。
会いもしない、話もしない相手と不仲になりようがないもの。
ただ姑問題で悩むというところは想像通りだったのかもしれない。
現に今こうして、淋しさというか何ともやりきれない気持ちを味わっているんだから。
お義母さんだけじゃなく、お義父さんも似た考えを持っているようだ。
きっと動けなくなったら迷惑だとか、最期は一人でとか・・嘘なんだと思った。
気持ちが上手く表現出来ないとか、年老いたら面倒みて欲しいなんて言ったら、私やけいちゃんが嫌がると思ったんだろう。
でも今関わり合いにならない方が良いと思っているのは事実のようだ。
孫が生まれるという一大イベントだというのに、なんの連絡もないのだから。
それとも一大イベントではないんだろうか。










