| トップページ > 20080526 | ||||
手術は成功しました!
朝、父は笑顔でした。
特に無理をして笑っている様子もなく、不自然にお喋りでもなく。
「東京は霧がかかりやすいなぁ・・。どうしてだろう??」
と外を眺めたり。
これから手術だという事がまだ信じられなかったです。
皆で他愛ない話をしていると、真吾先生が入ってきました。
一瞬で緊張した空気に変わりました。
いつもは無表情で淡々と話す先生が
「では今日は頑張りますか!」
と笑顔で言ってくれたのです。
それが何だか嬉しくて、安心出来ました。
言われるままに準備して、車椅子に座る父は、急に病人になったように見えました。
エレベーターホールまで見送ると、扉が閉まる時に
「行ってきます。」
と笑顔で手を振ってくれました。
私も手を振りました。
涙が出そうになりました。
どんなに不安だろう。
父が遠くに行ってしまうような気すらしました。
手術終了予定時間は午後4時。
長い長い時間が始まりました。
気分とは裏腹に、皆でご飯を食べに食堂へ。
母親も弟もいつもと変わらない様子。
やっぱり私は病気だからか、不安で不安で仕方ないのです。
今頃父は脊髄に麻酔の太い針を入れられて・・・。
そんな事ばかり考えてしまい、時計が気になります。
家族待合室に行き、本を読んだり、鶴を折ったり。
弟は爆睡していました。
余裕があり羨ましいな・・と思いました。
3時頃、心配のあまりか、猛烈な吐き気に襲われ、ナウゼリン(吐き気止め)を飲みました。
後1時間・・。
手術終了後に連絡が入るPHSがいつ鳴るかと、心臓がじっとり汗をかいているようでした。
他にも手術を待つ家族の方が何組がいらっしゃって、次々にPHSで呼び出されていました。
その音が鳴る度にまた、心臓が止まりそうになるんです。
開腹して、他にも転移が沢山あったらどうしよう。
大量出血でもしてないか。
何か問題があったら・・。
次々頭に浮かびます。
4時。
PHSは鳴りません。
4時30分。
まだ鳴らず。
5時になってもPHSは鳴りません。
携帯に何度もけいちゃんや姉から連絡が入ります。
絶対何かあったんだ。
遅すぎるもの。
5時半になり6時になり。
まだPHSは鳴りません。
息苦しくなってきました。
手は冷たくて、めまいが酷かったです。
するとやっとPHSが鳴りました。
あれ程待っていたのに、鳴ったらもっと動悸が激しくなりました。
説明室に向かうと
手術着の真吾先生が。
「お待たせしました。麻酔が覚めるのを待っていまして。」
その後の説明は次のようでした。
・全く問題なく、予定通り全ての癌は取り除いた。
・ただしそれはあくまで肉眼で見えるものなので、見えない癌細胞が残っていてまた出てくる可能性はある。
・輸血はしなかった。
・麻酔から覚め、もう返事もしている。
感謝で言葉が出ませんでした。
真吾先生は笑っていました。
ついさっきまで大手術をしていたとは見えなくて。
凄い先生なんだな・・と改めて思いました。
気持ちはすっかり軽くなり、さっきまでの不調が吹き飛びました。
20分後面会が許可されました。
朝手を振っていた父が頭に浮かびました。
ところが・・・。
ううん・・・当たり前なんだけど・・・。
ベットで酸素マスクをつけ、数えきれない程の管をつけられ、目を閉じる父。
管からは大量の血が流れる。
母親が
「お父さん!!分かる?」
と言うと
うなずく父。
目から涙が溢れていました。
それを拭きながら
「お父さん、頑張ったね!」
かろうじてうなずく父。
父のこんな姿を見る日が来るなんて。
あまりの衝撃で、涙も言葉も出なかった。
朝まであんなに・・・。
立って歩いて笑っていたのに。
「流月、声かけてあげて。」
と母。
なんて言ったらいいんだろう。
頭が真っ白で・・。
「お父さん、頑張ったね。」
父はうなずいてくれました。
すると父が
「今何時だ?」
と聞き取れる声で言ったのです。
声はちゃんと出るのだと分かって少し安心。
弟も茫然と立ち尽くしている感じでした。
皆会話も無く、何を言ってよいか分からず。
父は痛みに耐えながらも
「いてぇ・・・。」
と唸るばかり。
見ているのが辛くて。
でも父は想像出来ない程もっと辛くて。
それでも面会時間は終わり、帰り際
「帰るね。明日また来るから。」
と言うと
「うん。大丈夫だ。」
と。
目に涙を溜めながら父は言いました。
私は現しようのない気持ちでICUを後にしました。
母は言うのです。
「これからどんどん回復していくのよ。」
そうなんだけど。
でも今の姿は辛い。
前進の為の辛い一歩。
とても大きな今日の一歩はもちろん喜ぶ事だけど、今の父の苦痛は計り知れなく、それは今日の私には辛く悲しくて、笑顔でいられる強さはありませんでした。










