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食べ物 PTSD
毎日、夜布団に入ってから、りゅうとお喋りする時間が大好きです。
歌を歌ったり、携帯の画像を見て笑ったり、りゅうが私に本を読んでくれたりもあります。
ある夜。
「ママ、保育園でね、麻奈ちゃんはいつも1人でご飯食べてるんだよ。」とりゅうが話し出しました。
「どうして?食べるの遅いのかな?」と訊ねると
「うん。そうなの、遅いから、毎日1人になっちゃうんだよ。」
「そっかぁ。りゅうは?」
「りゅうはね、食べるの早い。男の子は食べるの早いんだよ。」
「じゃありゅうは麻奈ちゃんに食べるの頑張ってって応援してあげなきゃね。」
「どうして?だって麻奈ちゃんが遅いだけなんだよ。早く食べたらいいじゃん。」
「・・・・・・」
「ママは保育園でご飯早く食べてた?」
私・・・。
子供の頃、食がとても細かったようなんです。
時間内になど食べきれず、気付けばいつも一人。
でもその頃は「残さずに食べるのが偉い」と言われ、毎日、皆が遊んでいる中椅子に座らされていました。
お昼ご飯になると、毎日喉が痛くなるんです。
そして食べ物を飲み込むのが辛い。
先生に
「喉が痛くて食べられない」と言うと
「また?毎日痛くなる訳ないでしょ。頑張って食べなきゃ駄目よ!」と。
喉の痛みを堪え、一口一口やっと飲み込む。
「早くしなさい!」
「また遊ぶ時間なくなっちゃうよ」
「どうして流月ちゃんだけ食べられないんだろうねぇ。他の皆はちゃんと食べてるんだよ。」
「全部食べるまで、立っちゃ駄目だよ。」
やがて昼食後の休憩も終わりお昼寝の時間。
先生は呆れた様子で「もう食べられない!?じゃぁいいよ。明日は食べるのよ。」
やっと椅子から解放される。
毎日毎日、それの繰り返し。
まだ5、6歳だった私は、泣くという事は涙が出るんだと思っていたようだ。
あの時の喉の痛みは、私が泣くのを堪えていたんだと知るまでに、それから数年かかった。
泣いてはいけないと思っていた。
親に言ったら、ちゃんと話を聞いてくれなかった。
なんでご飯なんて食べなければいけないんだろう。
お昼ご飯が無ければ、私はあんな目に合わなくて済むのに。
皆に出来る事がどうして私には出来ないんだろう。
どんどん「食べ物」という物が嫌いになっていった。
あれ以来食事を「早く!!」と急かされると、あの時が蘇る。
高校以降は、いい歳して「早く食べなさい」と言われるとキレる私に、母親は戸惑っていたと思う。
今でも親しい友人に「食べ物は何が好き?」と聞かれると「私、ご飯食べるの苦手なんだ」と話す。
「苦手ってどういう事?」と友人は笑う。
次々に蘇る過去に、気付けば涙が溢れていました。
「ティッシュ、ティッシュ」とりゅうが慌てて取ってくれました。
「ママは麻奈ちゃんと同じでね、早くご飯食べられなかったよ。毎日先生に早くしなさいって怒られてたなぁ。」
するとりゅうが
「ママ大丈夫。今日はそんな夢は見ないよ。」とニッコリ。
そしてギュ〜っと抱きついてくれました。
いつも「今日は怖い夢見ちゃうよ〜」と騒ぐりゅうに私がしている事。
子供って良く見てるなぁと感心してみたり。
何だか吹き出しててしまって(゚m゚*)プッ
でもそれがとても温かくて、「そうだね、今日はママはりゅうの夢を見るよ。」
「麻奈ちゃんはね、先生に怒られてないんだよ。麻奈ちゃんゆっくり食べてていいよって言ってたもん。だけど今度はりゅうがちゃんと麻奈ちゃん見てるよ。」
「そっか。りゅうは優しいね。」
それからしばらくして、りゅうが静かになり、寝息に変わりました。
夢か・・・。
うん。
いつか夢だったと、もう終わった事なんだと思いたい。
冷蔵庫に閉じ込めらる PTSD
幼少の思い出。
いくつだったんだろう。
たぶん5〜6歳くらいだったと思います。
私には姉と弟がいます。
小さい頃はいつも姉と弟が仲良くて、2人からいじめられていた気がします。
自宅に併設されていた小料理屋は、この頃とても忙しかった。
父も母も懸命に働いていました。
兄弟喧嘩が始まると、父が何も言わず恐ろしい顔で、三人のうち誰かを抱きかかえ、外の車庫にある冷蔵庫に閉じ込めた。
その冷蔵庫は業務用で壁に埋め込まれていて、人が入れる大きな物でした。
冷蔵庫の奥に扉がもう一つあり、そこ開けると冷凍庫になっています。
そして扉は内側からは開かない様になっていました。
私も入れられた事が何度もあります。
扉を開けると、放り投げる様に私を置き、扉を閉める父。
電気も付けてくれず、真っ暗なそこは当然寒く、恐怖が更にその寒さを強くさせ、冷蔵庫中に響くモーターの音は、誰かの叫び声の様に聞えました。
店に使われるであろう、魚などの食材と一緒に、私もそこにいた。
置いてある全ての物が私を見ている気がしました。
もう一つある冷凍庫の扉が今にも開いて誰か出てきそう。
怖くて、怖くて。
泣き叫んでも誰にも聞えない。
いつも思いました。
「もし父がこのまま私を閉じ込めた事を忘れたら、死ぬんだ」と。
扉を叩くも、重い鉄の扉を5歳の女の子の手で叩いた所で、外には聞えなかったでしょう。
時間にしてたぶん数分。
私には気の遠くなる様な時間でした。
父が私を出してくれた時も、いつも何も言わなかった。
「私を殺す気なのだろうか」そう思いました。
でもそれは違うんです。
父にしてみれば、本当に躾のつもりだったんだと思います。
正直、繁盛している店で小さい子供が騒ぐのは煩かったんだと思います。
父のその行為を、今全く恨んだりとかしてなくて。
怖かった思い出として残っている程度です。
だけど、深層心理はどうなんだろう。
もうずっとですが、私は閉所恐怖症です。
暗いところは平気ですが。
狭い所にいると、不安で怖くなります。
だから家にいるのも嫌い。
外にいたいんですね。
屋根の無い所にいたい。
PTSDですね。
閉所恐怖といっても、それ程ひどくはありませんけどね。
MRIは怖かったなぁ。
痛くないのに、苦痛でした。
あの音がまた怖い!
今でも実家の冷蔵庫にはあまり近づきたくありません。
だけど、私は今5歳の子供じゃない。
冷蔵庫だって近寄らないという選択が出来るのです。
もう受身だけの子供じゃない。
きっと世の中には、そんなつもりではなくても、相手の心に傷をつけてしまう事って沢山あるんでしょうね。
誰が悪い訳ではない。
もちろん悪意があれば話は全く別ですが。
閉所恐怖症だから、もっと広い家に住みたい。
だからお金も必要で。
そしたら私もいずれは働いて、稼いで。
いつか家にいても苦痛じゃない家に住みたい。
そうやって前を向いて行きたいです。
原因不明の入院
小学校2年生の時に入院した事があるんです。
病名は不明。
それこそ、精神的な物でしょう。
実家は家庭環境が複雑でしたから・・。
その時の記憶は1年も入院していたのに、記憶が断片でしかありません。
初めは実家で「お腹が痛い」と訴えたのが始まり。
確か、救急車で運ばれたと思います。
たぶん検査をして、そのまま入院。
まさか一年も出て来れないとは思いませんでした。
覚えているのは・・急に目が見えなくなったり、音が聞えなくなったり、歩けなくなったりした事。
箱庭療法とかもしていましたね。
毎回つまらなかったです。
その頃は何故そんな事をしているのかも分かりませんでしたしね。
主治医は優しい先生だったけど、当時私はその先生が嫌いでした。
理由は不明。覚えてないんですね。
ある先生が病室に来て言いました。
「この子は嘘を付いています。大人の関心が欲しいから、不調を訴えているのです。音も聞えているし、目も見えいるはずです。」
これは記憶に鮮明残っています。
ワタシハウソツキナンダ・・・。
ここの病院にいたいから嘘をついていると・・・?
胸に長い針を刺されていたのを思い出します。
栄養を確保する管だったんだと思います。
抜く時悲鳴をあげるほど痛かった。
主治医が母親に話していました。
「私は流月ちゃんを信じています。以前に・・同じ様な症状の子供がいましてね。その子は私が担当していなかったんですが、その子も嘘を付いていると言われ、治療も積極的ではありませんでした。原因も分からなかったというのもありますが。どこも検査上では異常がなかったのです。その子はその後・・亡くなりました。原因不明のまま・・。」
1年して退院しました。
原因不明のままで。
親は2年生をもう一度やり直させるか、友達のいる3年にあげるか学校側と悩んでいました。
結局私は3年生になりました。
2年生がスッポリ抜けてしまったのです。
1年のブランクを皆心配していました。
私は皆が過剰に私に反応するのが嫌でした。
病院で何をしてきたのか。
悪気は無いのだろうけど、興味心全開で問いただしきます。
けどそれも田舎町。すぐ慣れました。
皆も聞かなくなっていきました。
テストでは良い成績でした。
そんなに勉強には影響が無かったんだと思います。
だけど、点数の悪い子を叱る時に、担任は必ず私を引き合いに出しました。
「流月ちゃんは2年生をしていないのに、良い点が取れるんだよ。なのにお前は何故こんなに点数が低いんだ?流月ちゃんを見習いなさい。頑張ってるんだね、流月ちゃん。」
その子の点数が低いのと、私の点数が良いのは関係ないでしょ?
ほぼ一年間繰り返されたその会話に私はうんざりした。
私は感情を表に出さない、目立たない子でいようと努力しました。
そのうち、感情の出し方が分からなくなって、男の子に「何をしても泣かない女」と言われる様になりました。
でも2年生で習う算数がさっぱり分からなくて・・今も分からないです(笑)
けいちゃんが数字に強いので、良かった〜と思ってます。
りゅうに聞かれて2人とも分からないんじゃ、親としてちょっとね・・・(笑)
初めてのリストカット
高校2年の頃。
私はいわゆる「難しい子」だったのかもしれない。
今でいうメンヘラーの素質を十分持ち合わせていたんだと思う。
幼少時代、ここにすら書けない沢山の事があったのも要因だと思う。
でも幸い、私のそういう部分を引き出す出来事が起こらなかった。
これは今だから言える「結果」だけど。
自分で自分が怖かった。
何かしてしまうんじゃないかと。
キレやすくはなかったけど、キレたら怖い、平穏な日常を全てぶっ壊してしまうかもしれない・・。
人を傷つけたり、犯罪を犯したり、そんな事が他人事とは思えない時がしばしばあった。
そういえば、中学3年の受験の頃、苛々がつのり、目の前を悠々と歩く飼っていた猫の耳をハサミで切りたくなったっけ。
切らなかったけど。
これも今だから言える「結果」
気の合う仲間と、就職校だったので勉強に追い立てられる事もなく、毎日楽しくやってた。
他の学校で問題を起こした先生が来る様な学校だった。
彼氏もいたし、友達も沢山いて、何も不満なんてなかった。
けれどどうしてだろうね。
思春期って、自分の居場所を探したくなる。
あるのに、ここに・・・。
家にいると自分の居場所がないと感じた。
ありがちな感情。それこそ甘えだろう。
両親が懸命に働き、家がある。
誰に聞いても、そこは間違いなく私の居場所だったろう。
何が気に入らない訳でもない。
けど苛々が治まらない。
楽しい事が何もない。
自分が見出せない。
将来は考えてもいないから不安にならないのに。
何故か心が満たされない。
淋しいと認めたくない自分。
深夜0時を過ぎるとその気持ちが毎晩募っていった。
日当たりが悪く、月明かりも入らない私の部屋。
部屋の電気を消して、コンポの光だけで部屋にある物が分かる。
6畳の部屋は、座る場所も選ぶ余地は無く、ベットに寄りかかる位置。
コンポからは洋楽が流れる。
出るのは溜め息ばかり。
「このままでは自分が何をするか分からない」
自分に対する恐怖心だけが増す。
カッターを見つめ・・手に取り・・刃を出す。
カチカチカチ・・・という音がまるで頭の中で響いているような気がした。
左腕に当ててみる。
冷たい感触で、ぞっとする。
私は何をしようとしているんだろう・・。
何となく明日普通に登校する姿を思い描く、友達といつものバカ騒ぎ。
変わらない日常がすぐそこにあった。
視線を落とすと、それよりも近くに非日常があった。
けれど心に問うと、それは日常より受け入れやすくて。
右手に力を入れた。
皮膚って思ったより簡単に切れない。
引きつる皮膚。それを力で引き裂く。
大変な事をしている気もした。
脈が速くなった。
でもこの心のモヤモヤを打ち消す、または目に見える状態にするには、この行為は適切だったと思った。
初めてリストカットした瞬間だった。
その日以来、私の左腕は傷だらけになっていった。
冬だったから、誰も気付かない。
傷が治ってくると不安になった。
かと言ってあまり数を増やす訳にもいかず、治りかけの傷の上をまた切るという行為を繰り返した。
気付いた友達は、驚きもせず、「うん。最近つまんねーよな」と。
そして煙草を取り出した。
「軽いから平気だよ。皆吸ってるし、流月が吸ってないのが不思議だ」と笑う友達。
「煙草は不良の仲間入りでしょ。」と言うと
「万引きで停学になった奴に不良って言われたくねーな」
確かに・・。
そんな事ももうずっと遠い昔のように思える。
冬の浜辺で吸った煙草は、何とも言えない味がした。
クラクラして、何でこんなもん皆吸うんだろうと思った。
「そのうち吸える様になるよ」
「そこまで頑張らなきゃいけないもんなんだ?」
「当然!」
変なの・・・。
「なぁ。これで新しい事始めたじゃん?体に悪い事し始めたじゃん?
今までとは違う日が始まった。だから、体は傷つけるのやめろよ。お前、女なんだぞ。」
「あんた親か(笑)」
なんて話をしながら、「灰皿を作ろう!」
と飲んでいた缶ジュースに修正ペンで
”流月の灰皿”と友達が書く。
「明日もあるかなぁ〜」と私。
「普通に風で飛ばされてるだろ。」
「じゃぁなんで作ってるの?」
「明日もあったら楽しくね??」
「楽しくねーよ。」
その日から自傷は止めた。
その代わりあっという間にヘビースモーカになったけど。
友達の手で作られた「今までとは違う日々」
単に煙草なのだけど、高校生の私には十分な刺激だった。
新しい刺激を手に入れて、私のリスカ行為は止まったんだと思った。
その日以来その友達を悪友と呼んだり、してはいけない事をして大人に反発している気分を味わったり、煙草の銘柄について語ってみたり、可愛い灰皿を買ったり、確かにそれまでには無かった沢山の事があり、それで満足した私は幼かったと思う。
幼すぎて、本当は友達の優しさで心が満たされて自傷が止まったという事に気付けなかった。
その頃付けた傷はまだ左腕に薄っすら残っています。
リストカットと煙草との出会いの貴重な思い出。
万引き
高校2年の頃万引きが流行っていて、私もやり始め、一体総額いくらくらい盗ったんだろう。
コスメ中心に毎日の様にしていた時期がありました。
私はバイトをしていたので、お金が無い訳ではありませんでした。
スリルを味わうのが楽しい訳でもなくて。
万引きすると、お金というものの価値が分からなくなりました。
別になくてもいいじゃんって思ったり。
もちろん、お金は物を買うためだけに存在する物ではないから、一概には言えないのは分かっていたんだけど、物を買うにはお金が必要というあまりにも常識的な事を壊すのが楽しかった。
行動はどんどん大胆にエスカレートして、ある日友達と一緒に捕まってしまいました。
奥に連れて行かれ、「盗った物を出せ」と言われ、ごちゃごちゃと出す。
警察に通報されて、パトカーが迎えに来ました。
友達は「親には連絡しないで!!」と泣き叫びました。
私は感情という物が湧き出て来なくて、でもその友達は親友だったから心配でした。
自分の親が私を怒るより、その子の親がどれ程怒るのかが気になりました。
クラスで成績はいつも1番の子でした。
パトカーに乗るとおまわりさんが「顔伏せておいた方がいいよ。友達が歩いてるといけない。」
おまわりさんは優しかった。
でも今バレなくても明日にはどうせバレるだろうと、私はそのままでいました。
友達は・・必死に顔を隠して泣いていたけれど・・。
未成年なので、当然親の迎えは必要で、両方父親が来ることになりました。
私は友達の事ばかりが気がかりで、話しかけたり、慰めたり必死だった。
私の父親が先に着き、普段と変わらず、友達に笑顔で話しかける私を見て
「お前は自分が何をしたか分かってるのか!!」ともの凄い声で怒鳴りました。
おまわりさんも一瞬息を飲みました。
私の感情がすっと冷めていくのを感じました。
脳みそに氷水を流された様な感じでした。
言葉に出なかったその気持ちは「じゃぁお前は私がどんな気持ちで今笑っているのか分かるのか?」
父の言葉を境に私は言葉を発しなくなりました。
怒りで言葉が出ませんでした。
万引きなんて大した事じゃないと思った。
それよりもそれによって引き起こされる、これから友達に起こる色々な事の方がよっぽど重大でした。
私が話さなくなり、友達の泣き声だけが響く室内は気まずい雰囲気だったのでしょう。
「お2人とも成績も良いみたいだし、初めての事だそうなので、魔が差したのでしょう。
お父さんもあまり怒らないであげて下さいね。」とおまわりさんまで気を遣い出しました。
「今までに万引きした事はあるか?」と聞かれて、「はい、あります。」と正直に言う人は一体何人くらいいるのでしょうか。
父は言い過ぎたと思ったのか、「ご飯食べて帰ろうか」「お父さんも実は若い頃は警察のお世話には何度もなったよ」と私に話しかけてきました。
機嫌取るくらいなら初めから余計な事言うんじゃないよ。
私はひたすら沈黙で、シカト シカト シカト。
友達の父親は動揺しきっていて、そこにいた全てのおまわりさんに「申し訳なかったです。ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げていました。
その行為が私には余計怖かった。
そんな事もせずさっさと外に出てきた父。
「あそこまでする必要あるかぁ?」という言葉に少し気持ちも和らぐ。
しかも友達の父親に「疲れましたね〜お腹空きませんか?私はなかなか無い機会なので、流月とご飯食べて帰りますよ。娘と2人でご飯食べる機会なんてこの歳になるとあまりありませんからね。良かったらご一緒にどうですか?」
私はさっきまでの怒りも忘れ、吹き出しそうになった。
だけど、もう少し相手の表情を読んだ方がいい・・。
友達は泣きじゃくり、父親は怒りに顔が変わっている。
「結構です」
でしょうね。
「こういう日は豪勢にいかねばならん!」と父。
何故かステーキを食べた。
私が何故必死に話していたかを父に話す。
「そうだったのか。それは悪かった。でもお父さんも途中から部屋に入って何も知らなかったな・・。確かにあのお父さんなら、これから大変だろう。自分の娘だけはそんな事をしないと思っている。だけどお父さんは違うぞ。お前がした事はお前が悪い。自分でそうしようと、誰に誘われようと、そうしたのはお前だ。だけど過ちは誰でも起こす。繰り返さなければいいんだ。過ちを起こすという事が分かったろう?」
答えはしなかった。
「もうしないよ。」とは言った。
とにかく、今回の事で私は親に心配をかけ、悲しい思いをさせてしまったと思いました。
帰る頃はもう2人で笑って全然違う話をしていましたが、父が家に入る時
「お母さんが待っているから、真剣な顔して入るんだぞ」と言うからまた笑ってしまいました。
家に入ると母がいて、何て事はない顔で「お疲れ様〜」
うちの親は肝が据わっているなと・・。
「ご飯食べてきた?」と母。
「ステーキ食ってきたぞ!!」と父
「あら良かったわぁ。今から晩御飯食べるなんて言われたら準備してないからどうしようかと思ってたのよ」と母。
その次の日から一週間の停学が決まりました。
友達の父は「裁判を起こす」などと訳の分からない事を言い出し、うちの父が止めたり、大変な日々でした。
陰口をいうクラスメイトもいました。
男友達の方は誰も変わらず、家にも遊びに来たりしていました。
態度を一変させた先生もいました。
「流月といたら真面目だった友達が変わってしまった。流月のせいで万引きした」と先生に言われました。
「流月に誘われて、娘が大変な事をしでかした。流月のせいだ。あんな子といるから娘がこうなった」友達の父親に言われました。
私は一言だって誘ってなんかいない。
けどどうでもいいよ。
好きに言ったらいい。
悲しくなかった。
親と彼氏が味方してくれたから。
「好きに言わせておけ。」
父の口から出たその言葉は、それだけで十分私を安心させた。
停学明けにあった期末テストで私は1番、友達が2番を取りました。
皆複雑な顔。
さぁどうする?誉めるか?貶すか?
「流月っぽい!」
大笑いしたのは、いつも一緒の男友達達でした。
懐かしい高校の思い出。












