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ブドウ球菌
2003年 春
やっと東京に戻ってきた。
里帰りをして4ヶ月。
4ヶ月もけいちゃんと離れていたのだ。
初めての出産だからと里帰りしたのに、手を貸す事は私の為にはならないと言うなら、初めから言って欲しかった。
どういうつもりで母は里帰りしたら良いと言ったのか、未だに気持ちが理解できずにいた。
血便は最終的に近所の内科医が
「痔です。赤ちゃんも痔になりますからね。多分切れているんでしょう。」
という結論を出した。
下痢のようなのに、切れる事なんてあるんだろうか。
そして痔のわりには、
「東京に行ってからすぐに小児科に行けないと困るから。」
と多めの抗生剤を処方された。
赤ちゃんの吸啜反応(口に触れた物を本能的に吸う事)が面白いと、父は煙草を吸った手をそのままりゅうに吸わせる。
私が見てると怒るから、見ていない時にやるのだ。
それを酔った時に笑いながら私に話す。
刺身を切ったその手も、そのまま。
「煙草で突然死の可能性が急激にあがるんだよ。」
と言うと
「お前達は煙たい部屋の中でこんなに元気に育ったんだぞ!!」
だから酔っぱらいは嫌いだ。
もうそんな事を気にしなくていいんだ。
少なくてもけいちゃんはそんな事はしないもの。
私の記憶は薄れつつあった。
妊娠中の東京での生活を。
毎日毎日泣いていた日々を。
あの日々が、実家にいた頃に比べたらまだマシのような気がしたのだ。
これで堂々とりゅうが寝ている時は私も眠れる。
日中は誰もいないのだから。
誰もいない不安より、解放された気持ちの方が強かった。
けいちゃんはりゅうに戸惑っていたけれど、最初はこんなもんだろう。
きっと徐々に慣れていく。
私がそうだったように。
りゅうは抗生剤を飲ませても血便が出るようになっていた。
東京に戻った翌日、すぐに小児科に行った。
紹介状を差し出す。
地元の内科医を知っている医師だったのは驚いた。
こんな離れた場所で。
世の中とは広いようで狭い。
検査をしてもらい、自宅に戻った。
すると、1時間もしないうちに病院から電話がきた。
「先生がお話があるとの事なんですが、今から戻って来れますか?」
なんだろう・・?
検査の結果明日と言われたのに。
急いでまた病院へ向かった。
「ちょっと気になったのですぐ検査をしたんですが、ブドウ球菌に感染しています。」
と医師に言われた。
ブドウ球菌・・。
それは地元でも聞いた言葉だった。
地元の内科医が検査した時に、極わずかだがその反応が出たと言ったのだ。
でも心配ないと・・・。
それを告げると
「一度そう言われたんですか?」と聞き返された。
だが最終的には痔だと言われた事も伝える。
「もう長期間抗生剤を飲んでいるでしょう?お腹の中には悪い菌もいるけれど、良い菌もいるんです。
その良い菌が抗生剤で死んでしまっているんですね。ブドウ球菌の数値が・・もの凄い数値になっています。お腹の中は悪い菌だらけです。
やたらに抗生剤を飲ませてはいけません。ブドウ球菌は怖いですから・・。」
飲ませてはいけませんと言われたって・・・。
私は言われた通りに・・・。
その時りゅうが排便をした。
医師が
「これは完全に下痢の状態です。赤ちゃんの便は確かに柔らかい。でもこんな感じではないです。痔なんて、とんでもない話ですね。」
そして整腸剤が処方された。
怖い・・・・・。
この2ヶ月間、誤った診断をされて、誤った治療をして。
りゅうは辛かったろうに。
私が飲ませていたあの薬のせいで、りゅうはこんなに悪くなってしまった。
薬を飲ませていた自分の姿が鮮明に頭に浮かび、鳥肌が立ち、震えが止まらなくなった。
この先も私が誤った事をすればりゅうは・・・。
全ての判断を私がしなくちゃいけないんだ。
医師とは、100%信頼出来るんじゃないんだ。
医師に対して怖いと思ったのは、初めてだった。
そして私がりゅうの命さえも左右させる気がして、不安になった。
人間一人の命を私なんかが支えられるのだろうか。
怖い・・怖い・・。
夜けいちゃんに一日の出来事を離した。
「良かったじゃん、原因が分かって。もう大丈夫なんでしょ?」
すぐに沈黙がやってきた。
思い出した。
この家には会話がないんだった。
沢山の人がいた実家と、自由を通り越して孤独な東京。
どちらがいいんだろう。
そんな事を考えていた。
人の目
2003年 冬
りゅうは毎日のように病院に行った。
近所の病院だったり、車で2時間かかる総合病院だったり。
血便の原因は分からないまま、抗生物質を飲ませている。
ステロイド剤を使わなければ、おむつかぶれも酷くなる。
夜中から朝にかけても変わらず泣き、乳腺は詰まってしこりが出来た。
体は浮腫んで、目の周りは真っ黒なクマ。
キャバクラ嬢の面影など消し飛んだ。
けいちゃんはこちらから電話しなければ、電話をよこさない。
お婆ちゃんの一日中の監視と、母親の「手を貸す事は流月の為にならない」という考えから、私は想像とは全く違う産後を送っていた。
神経は変わらずピリピリとしていて、物音一つに飛び上りそうな程心臓がドキドキする。
極度の睡眠不足、ストレス。
でもこれが当たり前なんだ。
皆こうやって子供を育てていくんだろう。
東京で生んだ方が良かったのかもしれない。
けいちゃんはりゅうが生れてもまだ父親の実感などまるでない。
りゅうの様子を伝えても心配している様子もない。
この大変な時を、けいちゃんも経験したらもっと違ったのかもしれない。
沐浴期間は一ヶ月だと言われたが、一ヶ月を過ぎてもベビーバスでお風呂に入れていた。
雪国の3月。
私が普通のお風呂に入れても、りゅうを受け取ってくれる人がいなければこの寒さでは入れられない。
ベビーバスが小さくなってきて、大変さが増した。
親戚がりゅうを見にきた。
「流月がよく生んだわねぇ・・・。」
お祝いの言葉に聞こえない。
ある日お婆ちゃんが
「正直流月がここまでやるとは思わなかったよ。出来ないって、お母さんに手伝って貰うんだと思ったけれど、お風呂も上手に入れてねぇ・・・。」
褒められているように聞こえない。
母親が
「だいぶおっぱいを飲ませるのが上手になったね。最初は・・言わなかったけど、やっぱり生んだばっかりだなって感じだったものね。」
りゅうに無関心のように見えて、私の育児を見てあれこれ思っている事に腹が立った。
母は気を遣っているのだろう。
言うと私が煩がるかもしれないと。
でも何も分からず不安なのだから、些細な事でもおしえて欲しかった。
私の育児に対する評価などいらない。
授乳が下手だと思ったなら、その時にどうしたら上手に出来るかおしえてくれたらいいのに・・。
思うようにいかない事が多い。
私は何も出来ないと思われているんだと思った。
頼りなくて、すぐ甘えて、そう思われているんだろう。
実際そうなんだろうか。
自分でも分からなかった。
でも私がやらなければ誰がやる?
甘えだろうとなんだろうと、私だって母親にもっと手伝って欲しかったよ。
出産後、まさか孤独を味わうなんて思わなかったもの。
普段ならば受け流すであろう全ての事が、正面から私にぶつかってきて、傷をつける。
疲れていた。
人の目に。
姉は私の状況をよく理解してくれていた。
「うちに泊りに来たらいいのに。一回間にミルクを入れたら何時間か続けて寝られるよ?
りゅうはお昼は寝てるし、私でもみれるよ。それに、これから外に出かける事も増えるだろうし、哺乳瓶の練習もしといた方がいいよ。」
お婆ちゃんに言われてから、母乳にこだわるようになっていた。
母乳が出ない母親なんて・・そんな気がしたのだ。
でも姉に言われて、母乳だけじゃ困る事もあると知った。
「誰かにあずける時どうするの?」
そっか。
そんな事も言われなければ気付けない。
でも姉の家に泊まる事は出来ない。
里帰りしている立場なのに、他の家に泊まりに行く事は、
まるで「実家が気に入らない」と言っているようなものだと
父が思うだろう、と母が言うのだ。
実家から姉の家まで車で15分。
それでも許されない。
でもりゅうは誰もみてくれない。
別にかまわない。
実際気に入らないのだし。
でも姉に迷惑をかけたくないし、父に嫌な思いもして欲しくない。
東京に戻る5日前。
姉が
「最後に出かけようよ」
と買い物に誘ってくれた。
出かける時に持った方が良い物を教えてくれて、車にりゅうのタオルを積んで迎えに来てくれた。
姉は私の状況をよく理解してくれていた。
初めて日中外出した。
姉の子供はよくりゅうをみてくれた。
「流月もりゅうももう東京に戻っちゃうんだね。淋しくなるなぁ・・。」
小学1年生の女の子の言葉に、本気で涙が出そうになる。
そんな事を思い言ってくれる人もいるのだ。
賑やかなデパートや沢山の移動で、りゅうは殆ど眠らなかった。
「もしかして、今夜は寝るんじゃない!?」
との姉の言葉通り、りゅうは朝4時くらいまで眠った。
私もりゅうを生んでから初めて夜中眠った。
臨月に入ってから、まともに睡眠を取れなかったから、何か月ぶりだろうか。
この日を境にりゅうの昼夜逆転は直った。
「良かったね。これで東京行っても少しは楽だね。本当に良かった!!あんたの目の下のクマは酷過ぎるよ。」
と姉は笑いながらとても喜んでくれた。
東京に帰る日。
待ちわびたこの日。
しばらく実家に帰るのは止めようと思った。
妊娠前の服などとても入らない私は、ジャージ姿で荷物をまとめた。
またマタニティを着る気になどなれない。
「流月、そんな格好で帰るの!?」
とお婆ちゃんは驚いている。
私だって好きでこんな格好で帰る訳じゃない。
「お婆ちゃんにとっては東京でも、私は自分の家に帰るだけだから。」
私はいつからこんな嫌な奴になったんだろう。
母の気遣い
2003年 冬
りゅうの夜泣きは続いていた。
睡眠時間が2時間というのも続いていた。
お婆ちゃんの監視も日に日に酷くなる。
りゅうがないてオロオロしていると、後ろで音もなく声もかけず黙って私を見ていた。
夜中も突然部屋に入ってきたりする。
どんどん食べられなくなっていく私に不満だったようだ。
「せっかく流月の為に作っているのに、全然食べなくなってしまったね。食べないと母乳が出ないよ。赤ちゃんの為に食べないと。」
産後1ヶ月を過ぎる頃、体重は10kg落ちた。
食べるより寝たい。
とにかくゆっくり寝たい。
病院はまだマシだったんだ。
あんなに毎日実家に帰りたいと思っていたのに、病院に帰りたいと思っていた。
沐浴は自分でやった。
そのうち左手首が腱鞘炎になった。
痛くて痛くて、沐浴中にりゅうの頭を支えるもブルブル震えてしまう。
それでも耐えるしかなかった。
誰も代わってくれなかった。
でもりゅうの気持ち良さそうな顔を見ていると頑張れた。
沐浴期間は1ヶ月。
手首が持つだろうか・・・。
すぐに左手に力が入らなくなり、りゅうの薬の袋も切れなくなった。
物が持てない程になってしまった。
それでも膝の間に薬を挟み、右手にハサミを持って薬の袋を切った。
正直、これくらい誰か代わってくれないものかと思った。
頻繁に水を触るので湿布すら出来ない。
姉が言った。
「私も腱鞘炎になって、料理中に手に力が入らなくて包丁を落とし、自分の足に刺さりそうになった。
でも誰も手伝ってくれなかったよ。旦那に言っても構いやしないし。」
そんなもんなんだろう。
母親になるって大変だ。
でも・・・・産後は大変だから実家に戻ってきたのに、これじゃ東京に一人でいたって変わらないじゃない。
誰も育児は手伝ってくれない。
それどころか自営をしているうちには邪魔な時もある。
もっと皆手伝ってくれて、せめて実家にいる間はもう少し休めるのかと思っていた。
一人の方があれこれ言われる事も、監視される事もないし、きっと今よりゆっくり眠れる。
産後2ヶ月は実家にいると決めた事を後悔していた。
早く東京に帰りたい・・・・。
りゅうを抱き、母の所へ行こうとしていた。
すると
「危ない!!」
その大きな声で我に返る。
母がりゅうを抱いていた。
私はフラフラしてよろけてしまったようだ。
「流月、あんたもう限界よ。」
極度の睡眠不足とストレスで、真っ直ぐ歩く事が出来なくなっていたようだ。
そんな自分の状態にも気付かなかった。
母の部屋に寝かせてくれ、りゅうも寝かしつけてくれた。
「次の授乳まで寝なさい。」
ここ数ヶ月の中で久しぶりにゆっくり眠れた。
それでも3時間程度だけど、十分だった。
お婆ちゃんと父は甘えているの気に入らなかったようだ。
ある時母がりゅうを抱っこしながら言った。
「これから色んな苦労があるだろうに・・。可哀そうだね・・・。」
私は笑ってしまった。
「何言っているの?やっと生まれてきて、これから楽しい事が沢山あるよ、なら分かるけど、なんでもう可哀そうなの?」
すると母は
「楽しい事ならそれで良いじゃない。これから大変な事がこの子に沢山あるだろうなって思ってね。もちろん誰にでもある事よ。でもこんなにスヤスヤ眠って、まだ何も分からない姿を見てるとちょっと複雑ね・・・。」
それは3人の子供を育てた母の気持ちだったんだろう。
私にはまだ理解出来なかった。
「これから楽しい事だらけだよ。」
私は軽い気持ちで言った。
辛い事だって、この子となら楽しさに変えてみせる。
そんなありきたりな自信があった。
気持の分からない小児科医
2003年 冬
けいちゃんはりゅうが実家に戻り、すぐ会いにきた。
慣れない私の実家で気遣いながらも、親の前で寝そべったりする姿はちょっと理解出来なかった。
りゅうを怖々抱き、まるで親になった実感が無いと話していた。
他人の子を見るように、りゅうを見ていた。
「オムツ替えてみる?」
そう言うと
「東京に帰ってきたらゆっくり挑戦してみる。」と。
それはそうだろうな。
突然やれと言われても、私だって困惑する。
ゆっくりでもやってくれたら嬉しい。
仕事があるとほんの数日で帰って行き、けいちゃんの両親は一度電話で話したきり、実家にりゅうを見に来る事はなかった。
総合病院ではアレルギーの疑いがあると言われた事を伝えると、採血する事になった。
こんな小さな腕から採血出来るんだろうか、と思う。
「赤ちゃんは足の裏からするんですよ。」
と看護婦さん。
大人でも痛そう・・・。
りゅうは大きな泣き声をあげた。
「早く良くなろうね。」
医師は突き放すような言い方をする男性だった。
東京在住という住所も気に入らないらしい。
これでよくこの大きな総合病院の小児科医をやってるなと思った。
湿疹の事も相談するといかにもうるさいなと言った様子だ。
「次来る時まで様子見といてよ。」
と言われた。
それから一週間後、採血の結果を聞きに行く。
憂鬱だったがりゅうの為だ。
大混雑の待合室で偶然高校の時の同級生に会った。
突然の再会だった。
1歳になったばかりだという男の子を連れていた。
高校の頃はあまり仲も良くなく、喧嘩早い女の子に付き、あれこれ因縁を付けては自分では何も出来ない子だった。
悪ぶって、自称不良になりたかったのだろう。
決して好かれていた方ではなかった。
そんな彼女も今となっては我が子を心配するママだった。
昔の事なんてどうでもよくて、再会がとても嬉しかった。
思わず医師の事を愚痴る。
「あぁ、あの先生すっごい嫌でさ。この前なんて、また来たの?って言われた。子供が具合悪くて心配な親の気持ちなんて全然分かんないんだよ。評判も悪いし、私は先生変えて貰ったよ。流月もそうしな?」
やっぱり印象が悪いと思ったのは私だけじゃなかった。
「でもさ、それでよくここで続けられるよね?だって担当替えて貰ったんでしょ?他にもいるだろうにさ。そんな評判悪くて、まだいるなんてね。」
と言うと
「田舎ってさ、直接本人とかに言わないじゃん?それに大きい病院ここしかないしさ。そう思ったら我慢して皆見て貰うんだよ。東京みたいに大きな病院が沢山あって、医者が沢山いれば違うんだろうけど。特にも子供の事となると・・・な。だからますます医者が調子に乗ってさぁ・・・。」
そうだろうなと思った。
田舎は病院の選択肢が無いのだ。
間もなく呼ばれて診察室に入る。
私をやたらにジロジロみる。
この都会人が!とでも思っているんだろうか。
まるで都会に染まれてはいないんだけど。
「いや〜・・早めに来て頂いて正解でしたよ。」
とカルテに目を落とす。
その後長い沈黙。
何か異常が出たんだ。
何だろう?
やっぱり血便が何日も続くなんて、どこかに異常があったんだ。
内臓の異常だろうな。
こんなに・・こんなにまだ小さいのに。
沈黙が続く分、ドキドキが増してくる。
どんどん悪い方へ思考は傾く。
医師は私をずっと見つめている。
医師はやっと口を開いた。
「何も異常はありませんでしたから。」
私を見てニヤニヤ笑っている。
私の様子を見て楽しんでいるとしか思えない。
何なんだコイツ・・・・。
「メレナだと大変だったんだが、違ったよ。
原因は分かりませんが、赤ちゃんには時々ある事だからね。
とりあえずもう少し抗生剤を続けましょう。」
「湿疹はこのままで大丈夫なんでしょうか?」
と聞くと
「あれ?こんなに前回から酷かったっけ?これはかなり酷いなぁ。薬出します。」
前回から湿疹は何も変わってないのに。
本当にこの医師は母親の気持ちを分からない所か、面白がっているようにすら見える。
後に聞けば、この医師の評判の悪さは有名だった。
それでも本人は知らないのだ。
皆頭を下げて診てもらうだから。
この薬はとてもよく効いた。
塗る度に湿疹がひいていく。
生まれてから約1ヶ月半。
やっとりゅうの湿疹は治まりつつあり、ただれたお尻には地元の内科医の先生が薬をくれた。
ある日、近所に住む看護婦さんが父の店に食べに来て、赤ちゃんを見たいとやってきた。
湿疹とオムツかぶれの薬の話をすると、
「その薬は効くでしょう。どちらもステロイドだもの。」と。
その時薬の知識などまるでなかったのだが、ステロイドという名前にあまり良い気がしなかった。
付けるのが躊躇われ、また内科医に相談すると極弱い物だから大丈夫と言われた。
出来れば処方時に説明して欲しかったと思った。
膿だらけの顔と血便
2003年 冬
やっと実家だ。
これでゆっくり出来ると安心した。
雪が降り積もる毎日だった。
私はとても気が張っていた。
大きな音にビクっとする。
ウトウトしていても、屋根から雪が落ちる度に起きてしまう。
反射的にりゅうをかばっている。
屋根から落ちる雪からりゅうをかばっている・・・。
そして誰かがりゅうに触るのが嫌だった。
まるで子供を生んだばかりの動物のような警戒心だった。
誰かがりゅうを抱っこすると
「私の赤ちゃんをどこへ連れて行くの?」
そんな気持ちになり、そんな気持ちになる自分がおかしいと思った。
あれ程優しかったお婆ちゃんの態度は変わり、あれこれ育児について口出すようになった。
心配してくれてるんだろう。
その気持ちは有難かったのだが、何かにつけ手を出したがるお婆ちゃんと、
「東京に行ったら全部自分でやらなければならないのだから、手出しは流月の為にならない」と言う母との意見は割れていた。
だんだんお婆ちゃんはエスカレートしていき、気付くと音もせず私の後ろに立っていたり、日に当てろだの当てるなだと言われ続けるうち、いつも監視されているような気分になってきた。
ただでさえ動物のように荒立った私の神経はますますピリピリした。
りゅうは退院後間もなく湿疹が酷くなった。
顔中、首、耳の中まで膿だらけになってしまった。
真っ赤になったその顔を一瞬でも見にきてくれた人に恥ずかしいと思った私は最低の人間だと思う。
そして血便が出るようになった。
赤ちゃんの便は柔らかいけれど、下痢をしているわけではないと習った。
だから下痢ではないんだろうと思った。
でも母乳を飲ませる度に血便が出る。
その頃父の小料理屋に内科の医師がお客さんとしてきていた。
妊娠中はよく相談にのってもらっていた。
心強かった。
その先生に相談した。
「大丈夫だと思うけどね。明日一応病院に来て下さい。たまに鶏肉でなる事があるんだけど、違うだろうしね。」
鶏肉なんて触っていない・・と思いつつ、やたらに手を洗うようになった。
次の日病院に行くと「新生児メレナの可能性があるので検査しましたが、異常はありませんでした。」
と抗生剤を出された。
こんな小さなうちから抗生剤を飲むのか・・。
生まれてまだ一か月も経たないのに。
ほんのわずかな薬をスプーンで小さな小さなりゅうの口へ。
悲しくなった。
それでも血便は止まった。
でも下痢のような状態は変わらなかった。
きっと下痢ではないんだろうな・・。
そしてその内科医は言った。
「顔の湿疹はアレルギーの可能性があるので、ミルクは飲ませないで下さい。母乳だけにしてね。」
母乳だけなんて、足りなくなったらどうするの?
そしてやっぱり足りなくなる。
泣き叫ぶりゅうを抱っこして、母乳が溜まるのをひたすら待つしかなかった。
お腹を空かしているのに可哀そうに。
ミルクを飲めない今、母乳しかないのに。
私はなんて役に立たない母親なんだろう。
りゅうが可哀そうで仕方なかった。
自分を責めた。
「何で母乳が出ないの?昔は皆母乳で育てたものよ。」
お婆ちゃんの言葉に涙が溢れた。
「じゃあ母乳が出ない人はどうやって子供育てるの?その為にミルクがあるんじゃん。
気にするな。」
姉の言葉に救われる。
夜中のりゅうの夜泣きはどんどん酷くなる。
夜11時くらいまではずっと寝ている。
そして0時になる頃起きて泣き出す。
朝方の5時くらいまで、ずっと泣いている。
床に下ろすと泣くのでずっと抱っこしているしかない。
居間に寝ていたので、テレビをつけて一晩やりすごす。
それでもりゅうを抱えたまま寝入ってしまう事もあった。
朝5時頃母が起きてくる。
「また一晩中泣いてたの?困ったわねぇ。さぁりゅうが寝たらあんたも早く寝なさい。」
6時くらいにやっと布団をかぶる。
6時半 お婆ちゃんが起きてくる。
8時
「まだ起きないの?」と起こされる。
「さっき寝たばかりなんだよ。」
9時
りゅうの母乳で起き上がる。
授乳が終わりまた寝ようとすると
「また寝るの?」とお婆ちゃん。
仕方ないので起き上がる。
毎日の睡眠時間は2時間くらいだった。
お昼はずっと寝ているりゅうに
「この子は良く寝て親孝行な子ね。泣かないし、楽な子で良かったね。」
皆そう言った。
いくら夜中に泣き通しで大変だと言っても、誰も聞いてくれない。
姉だけが夜中に時々メールをくれた。
そして毎日泣き声を早朝に聞いている母は
「この子は大変だよ」と言ってもやはり誰も聞かなかった。
皆が寝ている間泣き続け、起きると同時に寝るりゅうは、それは楽な子に見えたろう。
湿疹は悪化していき、皮膚が見えない程に膿だらけになった。
そして抗生剤を止めると血便も再発してしまい、オムツ替えの多いりゅうのお尻は赤くただれてしまった。
そしてオムツを替える度に大声で泣いた。
それでも内科医は「大丈夫だよ。」と。
こんなに泣いているのに本当に大丈夫なんだろうか。
ある日母がりゅうのオムツを替えて血便に驚いた。
「こんなに酷いとは思わなかった。」
大きな総合病院に行く事にした。
生まれてから一ヶ月もしないのに、何度病院に行くんだろう・・。











